LUNA MIX 築かれつつある女帝国



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  LUNA DEEP(ルナ・ディープ)



ルナ・パワーズという女子プロレス団体には、誰もが知るリングの表舞台とは別に、誰にも語られることのないもう一つの顔が存在する。それが――LUNA DEEP(ルナ・ディープ)。

この領域は、公式には存在しない。パンフレットにもSNSにも、その名は決して記されることがない。だが確かにそこには、選ばれし者だけが立ち入ることのできる“もう一つのリング”が広がっている。

LUNA DEEPは、完全クローズドの試合形式で行われる“地下ファイト”の舞台。招待制、撮影禁止、演出強化型。観客となるのは、久遠ルナによって特別に選ばれた限られたファンのみ。そしてそこに立つのは、ムーンシードと呼ばれる、まだ公式にはデビューしていない“特別選手”たちだ。

ターゲットは明確だった。女子プロレスにおいて、決して表には出てこない“隠れた主流”――「強い女に打ちのめされたい」「支配されたい」そんな“願望”を持つM系男性層である。

この欲望は、決して突飛なものではない。むしろ女子プロレス黎明期から脈々と続く、アンダーグラウンドにおける強固な支持層だった。それを表舞台で語ることは難しくとも、彼らの存在は女子プロの根幹を支える“影の土台”であり、LUNA DEEPはその受け皿として静かに機能していた。

「女子プロは、支配であり、救いでもある」
そう信じる男たちは、リングの上で女子に圧倒され、打ちのめされ、そして――敗北の果てに慈しみを受ける。

妃華は、そんな舞台の中心人物の一人だ。技で屈服させたあと、静かに膝に抱く。頬に汗をにじませた男を見下ろしながら、優しく囁く。
「ねえ、潰されるのって、気持ちいいでしょ?」

その言葉は、暴力ではなく、ある種の救済のようにも響く。

中には、元SMクラブの“女王様”だった選手もいる。彼女たちは格闘技の技術を一から学び、プロレスという形式にその技を昇華させ、いつか表舞台に立つことを夢見て、黙々と技を磨いている。中には、現役のプロ選手すらも圧倒する実力を持つ者がいるという噂さえ流れている。

スポンサーも、確かに存在する。だがそれは、単なる商業支援ではない。「支配と敗北」をテーマにしたドキュメンタリー映像の構想が水面下で進行しており、女子プロレスが持つ“力の美学”に本能的な魅了を覚える一部の企業や個人が、情熱で支えている。

久遠ルナは、公式の場ではLUNA DEEPについて一切語らない。

けれど、ごくまれに、こう漏らすことがある。

「人には、言えない夢がある。
でも、その夢の舞台も、私たちは作ってあげたい」

それこそが、彼女が本当に目指す“開かれた団体”の姿なのかもしれない。
ルナ・パワーズはただの女子プロ団体ではない。
誰もが、月の光の下で、自分の「願い」を形にできる場所――
それが、LUNA DEEPという、もうひとつの月の表情なのだ。

 

  Project LUNA MIX

プロレスの夢は、リングの上だけで描かれるものではない。
時にその夢は、誰にも知られぬ場所で、静かに綿密に、編まれていく。

ルナ・パワーズの創設者であり“女帝”と称される久遠ルナが密かに進めていた非公開プロジェクトがあった。
LUNA DEEPでも、特異なその名も――Project LUNA MIX

それは、女子プロレスという幻想の「強さ」を守るための、苦悩と戦略が交差した結晶だった。

「強さはやさしさ、そして誇り」
それがルナ・パワーズの理念である。しかし、現実には女子プロレスラーが男性に敗北する映像が一度でも世に出てしまえば、団体の信用は根底から崩れる。SNSは残酷だ。ほんの一瞬の“誤算”が、十年の努力を水泡に帰す。

「ならば、最初の相手は、私が選ぶ」
そう決意したルナは、自らの審美眼とプロデュース力を最大限に活かし、ある非公開プログラムを立ち上げた。

それは一見すると、ごく普通のイベントだ。
「プロレス体験抽選会」「ゲスト対戦企画」「ファン感謝デー特別マッチ」――そう銘打たれた催しの裏で、実際には彼女の手によって選び抜かれた“一般男性”のみがリングに上がる。

審査は徹底している。
身長160〜175cm、体重は40〜60kg台。格闘歴は不可。
ジャニーズ系のあどけなさ、少年漫画の脇役のような“守られたい空気”、そして何より――礼儀正しさと、プロレスという夢を壊さぬ演出理解。

「プロレスは夢。その夢を壊すような“現実”をリングに上げてはいけない」
ルナはそう断言する。

彼女が最も恐れるのは、女子レスラーが、無名の素人男性に敗れるという“禁忌の瞬間”が拡散されること。
それは、女子プロレスの幻想と信頼を破壊する、取り返しのつかない一撃となる。

Project LUNA MIXの本質は、「勝つこと」ではない。
美しく勝つこと」――それが、唯一無二の目的なのだ。

観客の目には見えないところで、すべては綿密に仕組まれている。
リング上で女子が男子を“やさしく”“母性的に”“圧倒的に”潰す構図。
男たちはただ無力ではない。“選ばれし存在”として、女子の強さを最大限に引き立てる器なのだ。
彼らの敗北は、恥ではなく、美である。

彼らの敗北は、恥ではなく、美である。

こうした戦略は、男子ファン層をも虜にしていった。
「潰されたい」という願望に、夢の形で応える試合。
同時に、美少年と女帝の交錯は女性ファンにも“美の逆転劇”として喝采を呼び、
「ミックスファイトは芸術」と呼ばれるまでに昇華されていく。

その中心にいるのが妃華。
そして、彼女が次に戦うのは――光なのかもしれない。
あの夜、チョークスリーパーで沈んだ彼が、再び選ばれる理由。
それは単なる復讐やリベンジではなく、“美しい再演”のための物語。

舞台裏では、ルナが誰よりも真剣な眼差しで審査票に目を通していた。
誰にも悟られぬように、ただ静かに、そして完璧に。

このプログラムの存在は、いまだ非公開。
パンフレットにも、SNSにも、その真の名は記されていない。
知る者は、ごく一部のプロ関係者と、選ばれた者だけ。

「勝つのは当然。でも、夢を壊さず勝つのが、本当のプロレス」
久遠ルナはそう語る。

そして今夜もまた、“夢を守るための戦い”が、誰にも知られず始まろうとしていた。

 

 男子が女子に負けると“恥”なのか?

夢を守るための戦いとは、「なぜ、男子が女子に負けると“恥”なのか?」という命題だった。

この問いは、単なる偏見や感情では語れない。そこには、歴史と文化、そして社会心理の長い積み重ねがある。人類の歴史を遡れば、力は常に“男のもの”とされてきた。狩猟も、戦争も、外での労働も――すべては男性の役割とされ、女性は家庭を守る存在として定義づけられてきた。

つまり、「力=男らしさ」という構図が、社会の基盤として刷り込まれていたのだ。

特にスポーツ、なかでも格闘技や重量挙げ、ラグビーといった“力の象徴”とされる競技においては、この価値観が顕著に表れる。そこで男子が女子に敗れるということは、単に一試合に負けるというだけではない。

それは、「男という性別そのものの優位性が揺らぐ」瞬間であり、同時に「男としての自信が打ち砕かれる」危機に直結するのだ。

そして、これをさらに根深くしているのが、社会に蔓延する“嘲笑文化”である。
学校、部活動、職場――あらゆる場面で「女に負けたのか?」という嘲りは、男子間のヒエラルキーを形成する道具として機能してしまっている。「女に負けるくらいなら、男として終わりだ」――そんな歪んだ価値観が、無意識のうちに若い男子たちへと刷り込まれてきたのだ。

だが、時代は少しずつ変わり始めている。
ボクシング、サッカー、総合格闘技――女性アスリートたちの目覚ましい活躍が、「強さ=男だけのもの」という幻想を突き崩している。ジェンダー平等教育も普及し、ミックスダブルスやeスポーツなど、性別を越えた競技が注目されるようになった。

今、勝ち負けの意味は、「性別」から「個人の能力」へと、確実に軸を移し始めている。

つまり、「男子が女子に負けるのは恥だ」という考え方そのものが、私たちが生きる社会が“そう思うように設計されてきた”結果なのだ。

それは男の本能でも、女の欲でもなく――教育と文化の産物にすぎない。

そして、ルナ・パワーズはその構造を、まるごとリングの上に乗せてみせた。

「女に負けることが恥なら――恥を美しく魅せるのが、プロの男ってもんでしょ?」
彼女のこの一言には、すべてが詰まっている。

この団体は、“恥”を晒す場ではない。
“恥”を芸術に昇華する、壮大な舞台なのだ。
男子が女子に潰される姿すら、観る者の心を震わせ、熱狂させる。
そこには、かつての価値観を逆手にとった、極めて先進的な挑戦がある。

そして今夜も、また一人、“恥を演じる”男がマットの上に沈んでいく――その姿に、美しさを重ねながら。

 

 潰す価値のある、上等な獲物でなければ、意味がない

リングの采配において、ルナの視線は常に二重の意味を孕んでいた。華やかなマットの上で繰り広げられる勝敗の裏側には、私的な欲望と公的な戦略が、見事に絡み合っていたのだ。

「イケメンは正義。ファンは正直。それを使って何が悪いの?」
そう言い放つ彼女の言葉には、したたかな計算と揺るぎない自信があった。実際、甘いルックスの若手男子選手をリングに上げれば、会場は歓声に包まれ、グッズは飛ぶように売れる。だが、その選抜基準が見た目だけかといえば、決してそうではなかった。

「どんなに顔が良くても、プロレス魂がなければ、うちのリングには立たせない」
そこには、ルナの確固たる信念があった。彼女がリングに送り出す男たちは、ただ美しくて可愛いだけではない。むしろ、彼らは“負けるために美しい”ことを宿命づけられていた。

「女たちが潰す価値のある、上等な獲物でなければ、意味がないのよ」
ルナが選ぶ“男たち”は、女子レスラーの咆哮と重圧の前に、見事に打ち砕かれることで、観客に新たな快感をもたらした。だからこそ、彼女の演出は唯一無二であり、その手腕には所属選手やスタッフすら一目を置く。

一部では、ルナは“ジャニーさんの女バージョン”と囁かれていた。
「ルナ社長は、まるで“ジャニー女史”だ」
そんな噂も、本人の前ではただの冗談で済まされる。
「あら、プロデュースってそういうものでしょ?」
軽く笑いながらも、どこか本音を隠さないその返しに、誰もが唸らされた。

やがて、ルナの戦略は目に見える形で実を結ぶことになる。
若手のイケメン男子と、圧倒的な強さを誇る女子レスラーが織りなす“逆転構図”は、従来のファン層を一変させた。観客席には、男性だけでなく女性たちの姿が目立つようになり、SNSでは《#潰されたい光くん》がトレンド入りするなど、女子プロの文脈そのものに新たな意味を吹き込んだ。

こうしてルナ・パワーズは、表向きは正統派の女子プロ団体でありながら、その実、“美と欲望と力の交差点”として他団体とは一線を画す独自のポジションを確立していくこととなる。すべては、ルナという女の、美しくも冷徹なプロデュースの手腕によって――。

その“冷徹な美学”は、単なるショービジネスの戦略にとどまらなかった。ルナにとって、プロレスとは舞台であり、選手とは演者であると同時に、生身の欲望を投影する“生ける彫刻”だった。

「リングの上は真実の劇場。誰が誰を愛し、誰が誰を支配するか、すべてが観客の欲望を映し出す鏡よ」
彼女のこの言葉を理解できる者は、そう多くはなかった。だが、理解する者は虜になった。

とりわけ、若手男子レスラーたちは、彼女の目に選ばれることを誇りに思っていた。彼女にとって“潰される価値がある”と認められることは、最大の栄誉だったからだ。

試合の脚本があると知りながら、涙をこらえきれずに倒れる者。
観客の嬌声と拍手に包まれながら、女子レスラーの猛攻に沈む者。
彼らの姿に、ファンたちは“母性”や“征服欲”や“共感”を複雑に重ね合わせ、酔いしれていった。

時にその演出は、「やりすぎだ」と批判された。
「男を商品化している」「屈辱的すぎる」との声も上がった。だがルナは、一歩も引かない。

「誰が誰を欲し、誰が誰に支配されるのか。そこに性別なんて関係ない。欲望は、もっと自由でしょ?」
それがルナの哲学であり、信条だった。

そんな彼女の存在は、いつしかプロレス界において「異端」ではなく、「新潮流」の象徴として語られるようになる。
その風は、他団体にも静かに波及し始めていた。女子レスラーが強く、美しく、そして男たちを“魅せて潰す”という構図は、やがて業界そのものの構造を変えていくことになる。

リング上の悲鳴、汗、張り手の音。
そのすべてが観客の感情を突き動かす装置として機能し、ルナの紡ぐ世界に浸っていく。

だが、彼女の目はもう、次の未来を見据えていた。
さらなる“劇場”の構築。さらなる“獲物”の選抜。
欲望の果てに、彼女が何を見ているのか──それを知る者は、まだいない。





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