リングの照明が落ちた瞬間、会場の空気がひとつ静かに息を止めた。
そしてスポットライトが中央に差し込むと、そこに現れたのは、堂々たる体躯をもってゆっくりと歩を進める女だった。
北爪妃華――“北の女帝”。
彼女の登場に、ファンたちは一斉に歓声を上げる。「ひめちゃん!」「モフ姫、がんばって!」という親しげな呼び声が、四方から飛んできた。
彼女の身長は171センチ。非公表ながら、その“質量”はファンの誰もが知っている。だが、それは決して「隠すもの」ではなかった。
その身体は、誇りであり、武器であり、そして信念だった。
小さい頃から妃華は、周囲と「違って」いた。「大きいね」「迫力あるね」と言われるたびに、胸の奥がざわついた。
学生時代には「ゴリラ女」などと心ない言葉を浴びせられたこともある。でも、彼女は笑っていた。
「怒ったら“本当に怖い”って思われるから、笑うようにしてた」
そう話すその表情には、ほんの少しの寂しさと、揺るぎない強さが混じっていた。
転機が訪れたのは、中学で柔道を始めたとき。畳の上で初めて、彼女は「重さ」が人を動かし、止め、制する力になることを知った。
その柔らかく重い体は、誰かを傷つけるためではなく、包み込むための力へと昇華していった。
高校生になったある晩、テレビの中で笑顔で闘う女子レスラーの姿に出会う。
圧倒的な存在感を持ちながら、優しげな表情で相手を組み伏せるそのレスラーを見て、妃華は確信した。
「あれ、私みたい。なのに、あんなに堂々としてる…!」
その瞬間、彼女の心に火が灯った。プロレスという舞台に、自らの“重さ”を賭けてみたいと、強く願ったのだ。
現在、妃華は「ルナ・パワーズ」の看板選手として活躍している。
彼女のファイトスタイルは、まさに「包容する力」を体現するものだ。
ベアハッグで相手をしっかりと抱き締め、逃さずそのままスプラッシュに移行する。
その一連の流れには、力の暴力ではなく、技術のやさしさがある。
圧倒的な質量の説得力に、観客は目を奪われ、興奮の渦に包まれていく。
けれど、妃華の魅力はリングの上だけではない。
試合が終われば、彼女は倒れた相手をゆっくりと抱き起こし、微笑んで肩を叩く。
観客席では、その一連の“リングの母性”に思わず涙する者さえいる。
ぬいぐるみを集めるのが趣味で、控室のロッカーには愛らしい仲間たちがずらりと並んでいる。
大柄で堂々としたその体に、どこか少女のような愛らしさを秘めている――そのギャップもまた、ファンを魅了してやまない。
写真撮影の列では、どんなに小さな子どもとも目線を合わせようと自ら膝を折る。
それは人気取りではなく、心からの礼儀であり、敬意であり、やさしさだ。
「やさしく潰す」――そのキャッチコピーには、彼女のすべてが詰まっている。
過去の痛み、笑って耐えてきた時間、柔道で見つけた強さの形、テレビ越しに見た憧れ、そして今、自分が誰かにとっての「希望」であるという責任。
彼女の重さは、ただの質量ではない。
それは、支えてきた重みのすべてであり、抱き締めてきた痛みのすべてであり、いま、誰かを包み込む“やさしさ”のかたちなのだ。
北爪妃華は、今日もリングの中央に立つ。
柔らかな笑顔のまま、腕を広げて――
“潰すために”ではなく、“抱きしめるために”。
それが彼女の、誇り高きファイトスタイルである。